ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
だれかあなたのように不義をゆるし、 その嗣業の残れる者のために とがを見過ごされる神があろうか。 神はいつくしみを喜ばれるので、 その怒りをながく保たず、
主よ、あなたは恵みふかく、寛容であって、 あなたに呼ばわるすべての者に いつくしみを豊かに施されます。
また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、
すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。
あわれみと、ゆるしはわれわれの神、主のものです。これはわれわれが彼にそむいたからです。
こうしてその期間が満ちた後、われネブカデネザルは、目をあげて天を仰ぎ見ると、わたしの理性が自分に帰ったので、わたしはいと高き者をほめ、その永遠に生ける者をさんびし、かつあがめた。 その主権は永遠の主権、 その国は世々かぎりなく、
しかし主よ、あなたはあわれみと恵みに富み、 怒りをおそくし、いつくしみと、まこととに 豊かな神でいらせられます。
永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。
その光栄ある名はとこしえにほむべきかな。 全地はその栄光をもって満たされるように。 アァメン、アァメン。
主は生きておられます。わが岩はほむべきかな。 わが救の神はあがむべきかな。
それからまたエシュア、カデミエル、バニ、ハシャブニヤ、セレビヤ、ホデヤ、セバニヤ、ペタヒヤなどのレビびとは言った、「立ちあがって永遠から永遠にいますあなたがたの神、主をほめなさい。あなたの尊いみ名はほむべきかな。これはすべての祝福とさんびを越えるものです」。
あなたの子供たちのうちで、わたしたちが父から受けた戒めどおりに、真理のうちを歩いている者があるのを見て、わたしは非常に喜んでいる。
わたしと父とは一つである」。
願わくはあなたの敵をあなたの手に渡された いと高き神があがめられるように」。 アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。
イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
そして言った、 「わたしは裸で母の胎を出た。 また裸でかしこに帰ろう。 主が与え、主が取られたのだ。 主のみ名はほむべきかな」。
そこでダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った、「われわれの先祖イスラエルの神、主よ、あなたはとこしえにほむべきかたです。
神はその聖所で恐るべく、 イスラエルの神はその民に力と勢いとを与えられる。 神はほむべきかな。
母のその子を慰めるように、 わたしもあなたがたを慰める。 あなたがたはエルサレムで慰めを得る。
しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。
わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝している。